叶姉妹は内容がないという意味でまことに記号的存在なのである。叶姉妹が来るようなパーティはまた、そんな立派なパーティに招待される叶姉妹を作り上げ ていく。マスコミはいつものように真実を報道しているのではなく、真実を作り上げている。叶姉妹が、ヌード写真集を出したら買うだろうか?買う人は、中には見たい人もいるかもしれないが、マスコミに乗せられて、評判だから買うのではないだろう か?つまり、本質とは関係ないところで消費することになる。バーゲンで余計なものを買ってしまうのも欲しいからではなくて、安いからという二次性のために買うのである。
家族で見る番組に「人気者で行こう!」というのがある。これはタレントにワインや食材を食べさせて、本物が分かるかどうかで「一流芸能人」か「普通」(最初は 二流だった)か「二流」(最初は三流)か「三流」(最初はそっくりさん)か「映す価値なし」に分けられるというものである。食感チェックという最終問題で最高級ししゃも3500円のとスーパーの100円のししゃもを(目をマスクで覆って)食べさせた ら挑戦者の5人、出題者の3人とも100円ししゃもをおいしい、本物だと答えてしまったのである。みんなから特においしいとも言われない本物とは一体何だろう?さすがにししゃもの業者からクレームがあったらしく、しばらく経ってからししゃもの業者がテレビ に出て、「私たちが出荷しているのは本物のししゃもで、100円のはニセモノの、代用品のししゃもです」とコメントした。
「お宝探偵団」という番組では時々、昔のオモチャが出てくる。一番おかしいのは「これで箱が綺麗に残っていれば…」という発言で、箱さえあれば倍近くの鑑定 になるのである。元々、レトロなオモチャというのは機能とかという本質とは無縁のところにあるのだが、それ以上に無縁のはずの箱が価格を決定する!愛書家は美本や初版を求めるが、情報という内容だけなら目の飛び出るような値段にならないはずだ。
グリコもミスター・ドーナッツもおまけのおかげで客は買う。グリコの古い飴は全くの価値はないだろうが、おまけの方は驚くような値段で取り引きされている。こうした状況を「脱構築」、ディコンストラクション(deconstruction)という。